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末期がん患者と親友との温泉旅行の事例

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1.はじめに

 私たち訪問看護師は入院中の患者さんから、最期に自宅で家族と過ごす時間が欲しいからとか、息子・娘の結婚式には必ず出席したいからという希望を受けて、病院からの一時外出や外泊中の付き添いをさせていただく機会がある。
 中にはかなり重篤な場合もあるのだが、たとえ外出中に死んだとしても構わないから必ず行きたいのだ!と訴える患者さんもいるのである。
 ただし患者さん希望だと言っても病院や家族など周りの方々が外出に向けて様々な形で支援するからこそ、その希望が実現するのである。
 今回ご紹介する事例では、時には大きなリスクを犯してでも外出したいと思う患者さんの心理、そして患者の願いを叶えようと一生懸命になって協力する周りの方々の姿を知っていただきたい。また一時外泊を通して、患者さんと周りの協力者の人達との絆がより強く結ばれる様を少しでもお伝えできたら本望である。

2.がんで入院していたサトちゃん

 佐藤さん(仮名)ほど誰からでも愛される人気者にはなかなかお目にかかれないと思う。
 遠くにいても聴こえる豪快な笑い方、だるまのようにずんぐりした大きな体をゆらしながら歩く姿がトレードマーク。誰にでも明るく話しかける気さくな人柄だったから、みんなも彼のことを「サトちゃん、サトちゃん」と親しみを込めて呼んでいた。
 年齢は50歳を超えていたが、まだ若い人には負けまいと、毎日精力的に顧客先に出かけていったそうだ。

 そんなサトちゃんが入院してからというものの、暗い顔をしてふさぎ込むことが多くなった。もう俺はだめだ、とか、もう家には戻れないかも、などと弱気な発言が増えていった。
 佐藤さんの病気は大腸がんであった。大きな病院で手術をしたのだが、すでに他の臓器にも転移しておりもはや治療を施すことができない。いわゆるがん末期の患者である。
 医師は家族に対し余命は残り一ヶ月程度だと告げていたが、本人への告知は行なわれていなかった。でも本人も自分の人生がもうあまり長くないことにうすうす気がついていた。
 がん末期の患者ではあるが意外にも自分自身で出来ることも多かった。トイレに行くときはよろよろしながらも一人で歩いていけたし、天気が良いから散歩に出たいと思えば車イスに乗って病院の中庭をぶらぶらすることもあった。
 とはいえ、病気になる前は90キロ近くもあった体重が今では三分の一にまで減りガリガリに痩せてしまっている。さすがに体力低下や筋力の衰えが著しいので、普段は病院のベッド上で寝て過ごす時間のほうが多い。医療の力を借りてやっと日常生活を送っているというのが実の姿である。
 病院では、がんによる痛みを緩和するため医療用モルヒネを投与されていた。お腹にはまだ生々しい手術の跡が残り、下腹部に作られた人工肛門には便を溜めるためストマパウチと呼ばれる医療用品が貼り付けられている。ストマパウチはマヨネーズの容器を一回り大きくして、素材のビニールをもっとペラペラに薄くしたような半透明の袋である。使い捨てになっていて便がいっぱいになったら1~2日に一回の頻度で取り替えていた。また手術で腸の一部を切り取ったので消化器官に負担をかけないよう栄養は点滴から補給していた。

 本当は、医師からしばらく食事は禁止だと言われていたのだが、我慢ができずに病院の売店で買った菓子パンやアイスクリーム、パインジュースを密かに病室に持ち込んで食べていた。これが病院生活での唯一の楽しみだった。
 ゴミ箱にパンの袋などが無造作に捨てられていたものだから、病棟の看護師は彼が食べ物を持ち込んでいることに気が付いていたのだけれども、そこは黙って見逃してあげていた。

3.大親友の存在

 さて、佐藤さんのもとに毎日のようにお見舞いに来る人がいた。荒川さん(仮名)だ。
 二人は30年来の親友である。佐藤さんのことをまるで自分の家族のように心配していた。
 実は荒川さんは佐藤さんが勤める会社の社長さんである。二人はまるで釣りバカ日誌のハマちゃんとスーさんの関係のように、佐藤さんが元気なころは毎週のように連れ立って東京近郊の温泉巡りをしていたという。お互いに家族以上の存在だったのかも知れない。
 元気を無くした佐藤さんを何とか励ますために、もう一度一緒に温泉に出かけることができないかと言い出したのも荒川さんだった。
 カウンセリングを行っていた病院の臨床心理士も、気分転換のために良いことだと賛成し、家族や主治医、看護師などを交えて具体的な検討が始まった。
 とはいえ、病院のスタッフが持ち場を離れて同行するのは難しいという事情もあるので、病院のソーシャルワーカー(介護サービスの紹介や医療費支払いの相談に乗ってくれる担当者)を通じて、私たち自費の訪問看護サービスに声がかかったのであった。

4.事前打ち合わせと親友の思い

 関係者を集めた打ち合わせは、何人もの看護師が忙しそうに廊下を行き来する病棟の一番奥にある大きな会議室で行われた。今回の温泉旅行の同行者として代理人を勤めていた荒川さんはわざわざ仕事を抜けてスーツ姿で参加していた。その他に佐藤さんの娘さん、主治医の先生と年配と若手の看護師ペア、ソーシャルワーカー、それに私たち訪問看護師が二人、全部で8人の参加者が集まった。
 たった一度の外出を実現させるためだけなのに、こんなに多くの人たちが時間を割いて協力しているのか、と私たちは関心した。

 打ち合わせでは、まず医師から佐藤さんの病状についての説明があった。一通りの説明が終った後、現在は状態が安定しているので外出許可を出すことはできる、しかし、がん末期の患者を遠出させたり温泉に入れたりすることは、どんなに安全性に気を配ったとしても急変のリスクを伴うことを理解しておくように、と言って話を締めくくった。
 すると代理人の荒川さんは、今回の外出は自分の責任で行なうから是非ともやらせて欲しいと発言した。娘さんからも、父本人もリスクを理解した上で最期にもう一度だけ温泉に行かせて欲しいと言っている、家族もそれを望んでいると述べた。
 医療従事者は病状や治療方針、リスクについて患者や家族が理解できるまでよく説明する義務があるが、最終的には本人や家族がどうしたいのかをはっきりと示すことが重要である。医療従事者はその意志に沿って最善の方法を考えサポートするのである。

 次に病院の看護師から入院中の佐藤さんの看護記録が渡され、外出中は胃に入れた管や点滴の管は外しておく。ただ、人工肛門のパウチだけは外せないので防水対策を施すつもりだ、もし水が浸みてしまったら滅菌ガーゼで保護するなど対処して下さい、と注意すべき点が伝えられた。また、普段は肌に貼るテープタイプの鎮痛剤を使用しているが、激しい痛みが現れたときのために内服薬が処方されているので、緊急の際はそれを飲ませるように、ということだった。
 最期にソーシャルワーカーが温泉までの移動手段は介護タクシーを手配しています、と報告した。
 病院側は万全の準備を整えていた。
 全体の打ち合わせが済んだ後に、その場に残った荒川さんが急にぼそりと語り始めた。
 「あいつは自分ががんと分かったあと会社に退職届けを出したんだ、皆に迷惑をかけるからってね。でも俺はそれを受け取らなかった。いま彼は病休扱いになっているんだ。だってあいつは死ぬまで俺の社員だし、心許せる親友だからね。俺ができる限りのことはしてあげたいと思っているんだよ。」淡々と話されていたが熱い思いがこもった言葉だった。
 ああ、世の中にこんなに強い友情で結ばれている人たちがいるのか、はたして私は死ぬまでにここまで仲のよい友達を作ることができるのだろうか。正直言ってとても羨ましく、少し嫉妬してしまうほどだった。

5.温泉施設の下見

 私たち訪問看護師は、病院での打ち合わせが終ったその足で目的地である温泉施設の下見に向かった。それはなだらかな丘陵地を切り開いて建てた総合スポーツセンターで、広い敷地の中にはゴルフコースやテニスコートなどもあり、その一角に温泉施設があった。
 下見の日は平日であったからか、客の姿はまばらであった。休みになると早朝から会社のゴルフコンペ客や子供を連れた家族客で賑わうのだそうだ。
 温泉のフロントに向かうと、佐藤さんや荒川さんとは昔からの顔なじみであるという支配人が出てきて、佐藤さんのこととあれば全面的に協力的しますから、と言ってくれた。
「もし他のお客さまから苦情が出ても、私が責任を持って対応するのでご安心ください」
 それは予想外の言葉であった。実は、人工肛門のストマパウチ(便を溜める袋)をつけた方とは一緒に入浴することをあまり快く思わないお客さまもいらっしゃいますので・・・などと言われはしないか、勝手に心配していたのだ。温泉施設からの協力が取り付けられたというのは大きな安心材料になった。
 続いて、支配人は自ら館内を案内して風呂場や車イスが通れる動線などの確認に付き合ってくれた。
 館内を回りながら支配人が教えてくれたのだが、佐藤さんは露天のジェット泡風呂が大のお気に入りで、毎回決まってその湯船から入るのだという。
 おかげで施設の様子が分かり佐藤さんの入浴パターンも知ることができたから、当日のシミュレーションをしっかり行なって当日を迎えられた。

6.同僚・知人との再会

 いよいよ温泉旅行の当日、車イスを押して病院のロビーに出るとすでに外の車寄せに白い大きなワンボックスタイプの介護タクシーが待っていた。
 運転手さんの手も借りながら後部座席に佐藤さんを座らせると、次に荒川さんが隣に並ぶように座り、訪問看護師は顔色が変わればすぐ対処できように二人の後ろの席から常時観察しておくことにした。病院から借りた車椅子はたたんで荷物スペースに載せて目的地へ出発した。

 車が病院の前の大通りに出ると、会社の前を通るルートで行ってくれ、と荒川さんが言って運転手に道案内をした。二人の会社は病院からすぐ近くのところにあった。
 やがて会社の前に車が差し掛かると、驚いたことに同僚たちが入り口の前で待っているのが見えてきた。荒川さんが気を回して、今日佐藤さんが会社の前を通ることを連絡してあったのだ。
 車を止めて佐藤さんが外に出ると、同僚の方々はみな久しぶりの再会に涙を流していた。
 やせこけてしまった佐藤さんを見てきっと内心ショックを受けていたであろう。佐藤さんは「まだまだ元気だよ」と涙をこらえて気丈に振舞っていた。
 集まっていた人達の中には会社の同僚だけでなく、社員の行きつけの定食屋のおやじさんや、なんと、会社の近くの銀行の警備員だという人まで駆けつけていた。警備員がいなくて銀行は大丈夫なのかな、などと余計なお世話なことも思ったのだが、「サトちゃん、今度俺とも一緒に温泉行こうな!」、「そうだな!」というやり取りを見ていて、こちらも思わず目頭が熱くなってしまった。

7.他のお客からの視線

 再び介護タクシーに乗り込んだ私たち一行は約1時間ほど車を走らせて、温泉施設のある総合スポーツセンターに到着した。入り口では館内のスタッフが笑顔で出迎えてくれた。
 当日は下見に行ったときよりもずっと入館者数が多く混雑していた。車イスに乗ってきた佐藤さんに対して、館内スタッフは敢えていつもと変わらない自然体の対応を心がけてくれたが、他のお客から見ると私たち一行は人目を引く存在であったようだ。
 佐藤さんも周りの視線が気になったようである。他人に病気であることを悟られたくない、健常者と変わらぬ自分として扱ってほしい、という気持ちが伝わってきた。
 看護師としては、常に状態を細かく観察しておきたいという気持ちはあったが、佐藤さんの気持ちを考慮した。他のお客にじろじろ見られないように館内での血圧や脈拍の測定回数は極力減らし、入浴前と入浴後そして急変した時だけに留めることにした。
 しかし脱衣所に移動して服を脱いで全裸になると、どうしても下腹部の人工肛門に貼り付けてあるストマパウチが目に付いてしまう。そこで他のお客さんにパウチが見えないように看護師は一方の手にタオルを持ってパウチを隠しながら、もう片方の手で佐藤さんの肩を支えた。そして私たちはゆっくりと歩きながら洗い場を横切り、外に続く湯気で曇った大きなガラスドアを開いて露天風呂に出た。

8.お気に入りのジェット泡風呂

 支配人から聞いていた通り、佐藤さんのリクエストは、まず露天のジェット泡風呂に入り、次にシャワーで体を洗ってから、また内風呂にゆっくり入る、というものだった。
 荒川さんと看護師が足元に気をつけながら、二人がかりで少し段差があるジェット泡風呂の敷居をまたぎ佐藤さんを湯船の中に入れた。
 「おぉ、気持ちいい~!来てよかった!」と佐藤さんは大きな声を張り上げ満面の笑みを私たちに見せてくれた。それを見た荒川さんは、元気だったころの佐藤さんを思い出したのか、涙がじわっと込み上げていた。でもそれを佐藤さんには見せまいと後ろを向いて必死に隠していた。
 そして二人はしばらく湯船の中で並んで寝そべり、黙って空をながめていた。雲一つない青くて高い夏の空だった。

9.湯船に浸かるときの問題

 ところで、湯船に浸かるときに一つ問題があった。佐藤さんの体が痩せていて体重が極端に軽いこと、特に足の筋肉が落ちたことで湯船の中で仰向けの姿勢になると下半身が浮いてきてしまうのだ。
 そこで、看護師は佐藤さんの横顔が見えるように90度の向きに座り、佐藤さんには足を伸ばしてもらって看護師の足に引っ掛け体を固定するようお願いした。そうしてみると無理のない楽な体勢で入浴を続けることができたのであった。

 それから、事前の医師の意見では湯船に入れるのはせいぜい3分くらいではないかということとだったのだが、幸いなことに脈拍や顔色、唇の色などに変化は現れず、結局10分程度も湯に浸かって楽しんでもらうことができた。
 もし何かしらの危険な兆候が現れたら即刻旅行を中断して病院に戻るつもりであったのだが、不思議なことにその一日を通して、懸念されていた痛みや吐き気、嘔吐、気分不良などの症状は全く現れなかった。

 温泉から上がってロビーで少し休息していると、館内スタッフが近寄ってきて佐藤さんになにやら手渡していた。それはお守りであった。受け取った佐藤さんは思わず大粒の涙をこぼし、ありがとう、どうもありがとう、と繰り返し礼を述べていた。
 それからその館内スタッフが、ねぇ、みんなで記念写真を撮りましょうよ、と言い出した。温泉に向かう車の中で、「そう言えば、思い出の写真とか持ってないよな~」という話になり、車を止めてコンビニエンスストアーで使い切りカメラを購入していた。
ロビーのソファーに座った佐藤さんの周りに荒川さんや奥から出てきた支配人、館内スタッフが囲み、みんなで、はいチーズ、の掛け声とともに看護師がカメラのシャッターを切った。
大勢での写真撮影に少し恥ずかしそうにしていた佐藤さんだったが、嬉しそうに笑みが浮んでいた。

こうして何事もなく無事に二人の温泉旅行が終った。
 病院に戻り、ナースステーションのスタッフに一日の様子を申し送りしてから、病室でお二人にお別れのご挨拶をした。
 もう少し早くにお願いしていれば何回か温泉に行けたかもしれないのになぁ、と二人は話していた。
 今日は一日中外で過ごしたからお疲れになったでしょう、ゆっくり休んで、お大事になさってくださいね。と声をかけてから病室を後にした。
 帰り道、駅に向かって歩きながら、今日は何度ももらい泣きしてしまったなぁ、などと思い返していた。

10.振り返り

 温泉外泊から程なくして佐藤さんは病院で亡くなった。私たちは病院のソーシャルワーカーからの連絡でそれを知った。
 「亡くなる前に一回だけでしたが、温泉旅行を実現させてあげられてよかった。お手伝いいただいてありがとうございました。今だから言いますが、最初は病院の中でも賛否両方の意見があったんです。やっぱりリスクが高いですから。でも、佐藤さんが外出から戻ってきて温泉での様子を嬉しそうに話す姿を見て、今回のことに関わった病院スタッフはみんなやっぱりやって良かったね、と話しています。」と彼女は語った。

 佐藤さんの事例は、私たち訪問看護師の立場から見てもリスクの高い外出であった。
 少しでもリスクがあると外出を許可しない病院もめずらしくないし、本人が希望しても家族が尻ごみするケースもある。今回の温泉施設は快く受け入れてくださったが、病気の方を入浴させて万が一の事故を起こされることを怖がる温泉施設のほうがずっと多いだろう。
 でも患者の健康や生命を危険にさらすことは極力避けるべきだ、という立場においてそれは決して間違いではないのだ。

 それでも、佐藤さんの温泉旅行を実現させるために、親友や家族、病院、温泉施設のスタッフがみんな一生懸命になって協力していた。
 全員が、これが佐藤さんの最期の外出になるだろうと思っていただろうし、恐らく退院して家に戻ることもできないことも分かっていたに違いない。
 だから、最期に一つだけでも患者の願いを叶えてあげたい、みんなそんな気持ちで関わっていた。

 佐藤さん本人は最後に温泉に行けたことをとても喜んでくれて、よい思い出とともに天国へ旅立たれたと思う。
 でも、それだけではなく、周りの人たちも何か得るものがあったように思うのです。
 まず、親友の荒川さんは関係者のなかでも格別の思いを抱いたであろう。今後、振り返る度に、
 サトちゃん、ジェット泡風呂で大きな声を出して喜んでいたなぁ。準備は大変だったけど、あの時あいつをもう一度温泉に連れてってあげられてよかった・・・
 なんて、自分自身の達成感もいつまでも記憶に残るのではないか。

 病院のスタッフや私たち訪問看護師だって、医療従事者としての充実感を味わうことができたのである。もしも温泉に行きたいという願いを聞いたときに、リスクがあるからといって真剣に検討してあげなかったとしたら、私たちは後々後悔していたかもしれません。
 末期がんの患者にはもう何も治療をしてあげることはできなくても、最期の思い出づくりをサポートすることはできる。医療従事者として培ってきた知識や技術をもって温泉旅行の実現に貢献することができた。喜んでくれた患者さんの顔を見ると自分達の仕事を大変誇りに思えるのである。

※この事例で利用者と一緒に男湯に入り介助を行なった当社のスタッフは男性の看護師です。

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