対象者や家族の精神的なケアも含めた看護を行なった事例
1.はじめに
これは長くがんと闘っていたCさん夫妻に、私たちが終末期の訪問看護として関わったときのお話だ。
長い闘病期間中には病状が良くなる時期もあれば、悪くなる時期もある。抗がん剤治療の成績に一喜一憂し、精神的なストレスも大きい。
終末期には、いかに肉体的な痛みと精神的な苦しみを和らげ、最期の時まで安楽に過ごしてもらえるかが看護目標となる。
そして、家族も一緒に悩み迷いながら懸命に看病を行なっていることも忘れてはならない。
患者さんだけでなく家族もケアを必要としている対象者である。
2.末期がんの身体状態
Cさんは直腸がん手術後に再発が発見され周辺臓器へも転移も見られた。排便が困難になっていたため人工肛門が造設され、また、排尿困難のため腎ろう※という状態だった。
私たちが訪問看護を始めた当初は日常生活はほぼ自立して送れており、まだ一人で外出することも出来ていた。抗がん剤治療を続けていたが病状は一進一退を繰り返すという状況であった。
※尿管から膀胱への尿の流れが悪くなった場合に、皮膚から腎臓の一部にカテーテルを挿入しそこから尿を排出すること
3.限界だった奥様の介護
最初にご連絡をいただいたのは、手術の後もCさんや奥さんの相談相手となっていた病院のソーシャルワーカーだった。
自宅での看病は奥様が一人で行なっていた。重度のがん患者であったためか、Cさんのケアを引き受けてくれる訪問看護ステーションがなかなか見つからなくて困っていた。
ソーシャルワーカーによると、「Cさんご本人は"自分はがんではあったが、治療によりがん細胞は消えた。"と思いたいようだ。今はうつ状態になっており入院を強く拒否している。奥様が時々相談に見えるが、毎日の看病で次第に疲れてきており第三者の手助けが必要な状態だ。」ということだった。
4.病状の変化と精神状態のアップダウン
(訪問開始から一ヶ月間)
看護師はストマを交換する際に便の形状や色などを観察する。このころは交換の度に少量の出血が見られていた。また、腎ろうのガーゼ交換時にこげ茶色の浸出液や、時々悪臭があった。
精神面の浮き沈みが見られ「妻といずれ旅行にでも行きたい。」と将来への希望を明るく語る日がある一方で、「最近回復力が落ちているのではないか。医者が言うには、私は体質的にいつもどこかにがん細胞が隠れているそうだ。体中のあちこちにがんが飛んでいるのかな?」と弱気な発言もあった。
(訪問開始から二ヶ月目ごろ)
血液検査の値がだいぶ改善したCさんは終始ご機嫌だった。
「久しぶりにテニスをやりたいな。何年もやっていないし。」と周囲に笑顔を振りまいていた。
「最近調子が良かったので二人でデートしたのよ。お洒落して駅前まで行ってランチしたの。」
と奥様も嬉しそうに話されており、はたから見ていてとても素敵な夫婦関係だと思った。
(訪問開始から三ヶ月目ごろ)
この時期のCさんは、時々、抗がん剤治療について期待と迷いが交錯するような発言が見られた。
「もう治っているんじゃないのかな?」と看護師に聞くかと思えば、
「本当に効いているのだろうか?」と独り言のようにつぶやくこともあった。
奥様からは悩みごとを相談されることがあった。
「医師から、"ホスピスに入れば医療スタッフも充実していて悩みもゆっくりと聞いてくれる"と言われた。ホスピスを薦められるなんて・・・、そんなに状態が悪いのかしら?本人に何て言ったらいいのか・・・。」看護師は、話すことで奥様の不安を吐き出させるように心がけていた。
また、「たまには自分の時間を持つことも大切ですよ。ご主人には私たちが付いているので気分転換のために外出してはどうですか?」とお伝えし、ときどき介護から離れてリフレッシュするように促していた。
(訪問開始から四ヶ月目ごろ)
このころに新しい抗がん剤の投与が始まった。Cさんは効果が高い薬だと信じており期待していたようだ。
ところが、投与開始から半月後、下痢、貧血、皮膚の乾燥、体重減少などの激しい副作用が現れた。残念ながら抗がん剤は中止になってしまった。
期待が高かった分、中止のショックは大きかったようだ。Cさんは奥様に八つ当たりをして夫婦で口論になることもあったようだ。
Cさんが落ち着かなさそうにしているときには、看護師はマッサージしますか?と聞いてみた。体を揉まれていると、お子供の勉強のことやご自身の仕事、学生時代のことなどを語り始め、次第に冷静さを取り戻せているようだった。
(訪問開始から五ヶ月目ごろ)
検査の結果が良好で抗がん剤治療が再開になった、とCさんは喜んでいた。
だが、抗がん剤を始めてしばらく経つとまた副作用が現れてしまった。
「いつも遅れて副作用が来るんだ。辛いので抗がん剤は止めようかな・・・。」
抗がん剤治療への迷いが生じている様子だった。
(訪問開始から六ヶ月目ごろ)
検査のため入院したCさんはやや躁(そう)気味に「検査結果は良好だった。体重も戻ってきたし、院内を歩いたり階段を上り下りしている。買物でもしに外出しようかな。」と語っていた。
また、あれほど自分でやるのを嫌がっていた人工肛門のストマ交換についても、「自分でもできるよ。じゃあ、試しにやってみようか?」と意欲的だった。退院するとすぐに看護師に技術指導を求め、本当に自分で処置を始めた。前向きに療養に取り組んでいこう、という気持ちの現れだったのだろう。
(訪問開始から八ヶ月目ごろ)
長い間、治癒への希望を捨てずに戦い続けたCさんだったが、ついに最期の時が訪れた。
私たちがそのことを知ったのはソーシャルワーカーからの連絡だった。
ご自宅で突然意識を失い、病院へ緊急搬送されてそのまま帰らぬ人となったのだ。
5.奥様が抱いていた思い
後日、奥様が「主人は昔からどんなにお世話しても、なかなか"ありがとう"を言ってくれない人だった。でも、現役のときは仕事を一生懸命やって本当に立派な人だったから、最期まで看てあげようと思っていたのよ。」と、これまでの思いを吐露された。
その時の奥様の表情を見ていると、かけがえのない人を失った喪失感の中にも、どこか満足感が混ざっているように感じられた。きっと奥様は悔いを残すことなくご主人の看病をやりきった、と思えたのではないだろうか。
それから奥様は看護師の手を握り「あなた達がいてくれてよかったわ。ありがとう。」と言った。看護師も奥様の手の上に自分の手をそっと重ねた。苦しい時期を共に戦った"戦友"のような気持ちがお互いに生まれていたのだった。
完
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